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認知症の方への「対応」から「共生」へ:認知症講演会での感想

 市主催の講演会に出てきた。演題は「認知症の方への対応ということ」で、講演者は繁田雅弘氏で臨床精神医学の専門家だと紹介された。この講演会は市の福祉課主催で出席は希望順で80名までというもの。部屋はほぼ満席で、出席者は男女ほぼ半分か、年齢層は若い方から高齢者まで多様な印象だった。
 講演は主に2024年の「認知症基本法」(共生社会の実現を推進するための認知症基本法)の解説が中心だった。講演の前半は主に時代に応じて認知症の捉え方が変わってきたという話で、①1950/60年代 ②1980/2000年代 ③200年以降 と時代の3区分を示された。第1期では認知症が「外に出さない」ことが強調され、第二期では老年痴呆と抗精神薬の時代、現在の第三期でやっと認知症に対応する介護・医療・地域支援という考え方がが社会に受け入れられた、という。そして将来は認知症を「対応するもの」から「共生するもの」に変えることを目指したい、というお話であった。
 後半は主に認知症の様々な型ーアルツハイマー型・レビー小体型・前頭葉側頭葉型・血管障害型などーを事例を用いて説明された。力点は、今日の認知症は介護する側の立場(家族とか介護施設とか行政とか)ではなく、介護される側の立場に立ったアプローチが必要だということだった。どの話も医師としての経験からの話なので興味深いものだった。
 この種の講演はえてして介護する側を励ます「激励型」か、または介護の大変さを強調する「悲劇型」が多いが、今回の話は制度の説明と実例の紹介が巧みに組み合わされて新鮮さがあった。質疑の時間も質問が多く、予定時間が来て質問が途中で打ち切られたのは残念だった。

 

「安心して認知症になれる町」って何 ?


 市の社会福祉課が認知症に関する講演会を開いてくれた。定員80名の予約制だったが、私は運良く登録できて出席してきた。全体のテーマは「認知症と共に生きる」で、お二人の講演があった。全体的にいえば若年性認知症に関するお話で、とても有益なものだった。席は満席で講演会としては成功だったようだ。

 講演者のお一人は、「公益社団法人認知症の人と家族の会」の理事で、神奈川県支部の副代表と紹介されたM氏で、演題は「認知症と共に生きるー忘れても心は生きているー」、お二人目は「県オレンジ大使」(1)のSさんでテーマは「若年性認知症をもつ本人にお話」、だった。お二人とも立派な肩書きをお持ちでなにか難しいお話かと思ったが、実際には穏やかな話でよかった。

 M氏の話は実体験に基づくものなのでとても説得力があった。講演も慣れておられるようで、1時間余を流れるようにお話しされた。この手の話に多い悲壮感はあまりなく、参加者を励ます口調が説得力を持っていた。


 Sさんの話は、若年性認知症コーディネーター(2)の方の質問に答えるというかたちでなされたが、特にこれという話はなされず、もっぱらコーディネーターの方が話しておられたのは少し残念だった。致し方ないといえば致し方なかったのかもしれない。

 M氏の講演の論題だけを紹介しておきたい。


①私の家族、及び介護状況
②妻の介護体験
③孤軍奮闘のリハビリ
④コロナ禍での面会
⑤家族会・認知症カフェ
⑥共に生き ともに歩もう 認知症

 M氏は奥さん、両親二人の計三人(要介護4と5)を20年間介護されたということで、その苦労と努力は想像を絶する。ただただ頭が下がった。

 配布されたレジュメの中にとても貴重な情報が含まれていたので、念のために記録に残しておきたい(3)。

【認知症の人が使える社会資源】

 

 問題はこういう多様な政策(社会資源)がどれも申請主義に基づいているということらしい。知らなければ、申し込まなければ、もらえません(サービスを受けられません)、ということのようだ。私もいくつか該当するものを申請したことがあるが、市役所の中をたらい回しにされてお終いだったという苦い経験がある。たらい回しどころか最初は他のサービスは教えてさえもらえなかった。現在の日本は申請主義なのだから、以下のM氏の言葉は重かった。「認知症を治療するのは、薬ではなく、知識です」(4)

 

注
1 オレンジ大使とはどういうものかよくわからなかった。
2 若年性認知症コーディネーターは各県に配置されているらしい。どうも本人と関係機関との調整役らしい。若年性認知症に特化された役割らしい。ケアマネさんみたいな仕事なのだろうか。神奈川県では県内10カ所に配置されているという。
3 転載の許可はいただいていないが、レジュメでは参考資料と題されているので、載せさせていただいた。
4 表題にも書いたが、今回のような有益な講演会のパンフレットのキャッチフレーズが「安心して認知症になれるまちへ」はいただけなかった。認知症になっても安心して暮らせる町、という意味なのだろうが、なんともやるせない表現だ。認知症になりたい人などいるはずがない。認知症の相手を四六時中介護している人にきれい事だけでは説得力がない。これだけ立派な講演会を開ける関係者がこの表現に納得しているのだろうか。この日本語をどう英語に訳するのだろうか。

 

 

アカシアの会のクリスマス・パーティ ー 隠れキリシタンと福音川柳


 私の所属教会の高齢者信徒の親睦団体であるアカシアの会のクリスマス・パーティがクリスマスより一足早く開かれた。15年近く続いたこの会に一応ピリオドを打つということでお別れ会でもあった。いつも通り雑談を楽しみ、「唱歌」を歌い(1)、クリスマスソングを歌い(2)、楽しいひとときを過ごした。興味深い話題提供が二つあったので、記録のために少し書き残しておきたい。


 話題の一つは、五島列島の福江島出身のN氏による、福江島での幼児期の待降節の過ごし方の話だった。二つ目はIさんによる福音川柳とシニア川柳の比較の話だった。参加者は多くはなかったが、みなさん興味深く聞いておられた。

 

 N氏は子供時代を福江島の某地区で過ごされたようだ。昭和10年前後のお生まれらしく、戦前戦後のカトリック信者の生活を事細かにお話しされた。
 私が特に興味を持ったのは、朝4時頃起きて、まず教会に行ってミサに預かり、帰宅して朝ご飯を食べ、それから学校に通った、という話だった。ミサの前には食べないという習慣(規則)は私も知らなくはないが(3)こどもには大変だったことだろう。ミサでも神父様から難しい信仰の話は聞いたことはなく、キリスト教については親から教えてもらうのがすべてだったという(4)。
 ご聖堂ではもちろん男女別に左右に分かれて座っていたし(5)、未信者との交際・結婚は「法度」でだめだったという(6)。
 待降節だからと特になにか変わったことはなかったという。ただ告解だけはせかされて子供心に大変だったという。そのほか興味深い話を次々とされた。機会があればまた続きをお聞きしたいものだ。

 

 Iさんの話題は「シルバー川柳にみる光輝高齢者の今」というもので、2025年度の「第25回シルバー川柳」の入選作が紹介された(7)。鈴木勁介師の「福音せんりゅう」も10本紹介された。福音川柳とは、キリスト教の福音(良い知らせ、Good News)を575形式で歌ったもので、テーマは聖書に限らず、信仰生活全般を詠んだもの。例えば「忘れてた 神さま来るの 忘れてた」「呼ばれたら ついて行くけど 今はだめ」「千年を 一日のごとく 神を待つ」など(8)。


 Iさんは、川柳には、①穿ち ②おかしみ ③軽み の三要素が必要で、俳句やジョークとは別物だという。また、福音川柳とシルバー川柳の違いを次の2作をあげて説明したかったようだ。
「日帰りで 行ってみたい 天国へ」(2012年シルバー川柳入選作)
「闇の中 光を見たけりゃ 目をつぶれ」(福音せんりゅう 鈴木勁介師)
 出席者には俳句に詳しい方も多くあまり話は進まなかった(9)。

 

 ということで、なかなか充実したクリスマス会だった。十数年の歴史を閉じるのは本当に残念極まりない。いままで毎月一回、話題提供者をだれか探し出して、欠かさず開いて来られた関係者の方々に感謝したい。また新しい親睦団体が生まれることを期待したい。

 

注
1 要は文部省唱歌のことで、たとえば一年生用の「鳩ぽっぽ」とか3年生用の「春の小川」とかのこと。高齢者なら誰でも歌える、歌えなくとも聞いたことはある歌。アカシアの会ではSさんがいつもオルガンを伴奏してくれた。
2 「あめのみつかい」や「もろびとこぞりて」、「みつかい」「しずけき」など定番の歌もさることながら、「アデステ」(Adeste)は私は久しぶりで歌えなかった。
3 第2バチカン公会議以降現在は断食は確か1時間前に変わっているようだ、
4 N氏は「隠れキリシタン」(現在はカトリックに戻った人たちを「潜伏キリシタン」と呼んで区別しているようだ)ということばは使われなかったが、「キリシタン征伐」という表現を繰り返し用いていた。「キリシタン」とか「征伐」という言葉の持つ重みを感じた。

【ザビエル像】

ザビエル像

 わたしは2018年に國學院大學で開催された特別展「キリシタン ー 日本とキリスト教の469年」に行ったことがある。これは、長崎と天草地方の潜伏キリシタンの関連遺産が世界文化遺産に登録されたのを記念して開かれたものだ。これは本として出版されており、私も大事に保存している。

【キリシタン展】

キリシタン展

5 男女が左右に分かれて座るという習慣はいまでもどこかの教会では残っているかもしれない。こういう話でジェンダーだのフェミニズムだのと言い出すのは野暮というものだろう。
6 「法度」という言葉がNさんの口からすっと出てきていたのには私は驚いた。わたしは日常会話でこの言葉を使ったことはない。福江島では信者と未信者は混住だが、信者は貧しい(農作業に適さない)山際に住まざるを得なかったという。混住と言ってもあまり交流はなかったのかもしれない。
7 「定年後 悠々自適は 妻でした」など20本。私が気に入ったのは、「道ばたで 休んでいたら 拝まれる」「散骨を 海にはするな 泳げない」「タブレット 使えず回る 寿司見つめ」など。
8 福音川柳の中に、「宣教川柳」というものもあるらしい。東京教区が熱心に取り組んでいると聞いているが詳しいことはわからない。たとえば、今年の入賞作品は「祈りこそ 希望の宝 主の恵み」だそうだ。2023年の枢機卿賞は「主に習い 柔和謙遜 学びたし」だという。どちらもあまり「おかしみ」を感じないが、どうだろう。
9 どうも川柳は文学形式としては俳句より格下に見られているらしい。俳句は現代では和歌(短歌)より格式が高いのだろうか。わたしはどれも不案内なのでよくわからない。

 

 

「非戦」から「避戦」へ ー 専守防衛のジオポリティーク

 当教会で有益な講演会が持たれた。論者はH氏で元空将補、現在は「国際地政学研究所」の理事(1)。テーマは「白村江の戦いに見る日本人の防衛思想」というものだった。テーマのタイトルだけ見るとなにか歴史の話かと見間違えるが、中身は現代日本の防衛論だ。日本は米中ソなどに対してどのように自分の「国のかたち」を作ったら良いのかという話だった。5月に行われた講演会(2)に続く話題だった。

 H氏は講演や講義は慣れておられるようで、説明は流ちょうで、時々冗談を入れたり、脱線したふりをして本音を語ったりで、2時間余の講演は見事だった。パワーポイントを使ったスライドの説明が中心だった。スライドの絵や文字は私にはほとんど読み取れなかったが、語り口がなめらかでスライドはなくとも良かったくらいわかりやすい説明だった。わかりやすい口調だったが、内容は専門的だ。初めて聞く話が多く、氏の研究の成果の一端を垣間見る思いだった。

 配付された資料はなんと20頁にわたる詳細なもので、カラー印刷をとりいれた立派なものだった。内容は多岐にわたるのでとても要約できるものではないが、氏の主張は明快だった。日本の防衛思想は古代からずっと「専守防衛」論だったし、「日本の国のかたち」は「専守防衛」以外にない、というものだ(3)。

 講義の内容を要約する力は私にはないので、配付された資料の主な目次を少し紹介しておきたい。どういう話だったかが推測できると思う。

1 白村江の戦後のジオポリティークは専守防衛
    ①日本列島の位置づけ ー 対馬海峡とドーバー海峡
    ②戦争する相手との国力対比
    ③戦場に関わる地理学的情報 ー 大陸国家の戦争と島嶼国家の戦争
2 日本は白村江の戦いになぜ「参戦」したか ー 日本と百済との関係
    ①百済語を通して「日本・百済」の「血縁」を言う諸氏
    ②朝鮮王朝・日本王族との姻戚関係 ー 桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫
    ③政治に百済人が関与
    ④文化交流
3 白村江の戦の年譜
4 国のかたち⇒「古代国民国家」⇒国家体制の構築と維持
    ①全般⇒敗戦に学び構築する「国のかたち」
    ②内政の障害排除 - 地方部族を吸収
    ③律令(近江令668⇒飛鳥浄御原令689⇒大宝律令701)
    ④遷都 難波⇒近江京667
5 防衛・安全保障・外交
    ①大国のパワーポリテイックス(日本・新羅・唐・渤海)
    ②新羅のと交流
    ③白村江敗戦後の防衛体制構築
    ④百済遺民の四散 ー 難民対処
    ⑤捕虜の帰還
    ⑥『万葉集』防人の歌
        *防人の歌の評価=乏しい軍事的知見に反比例する(命がけの重さ)
        *大友家持の期待
        *防人=コサック
6 示唆⇒国のかたち
    *古代国民国家で「日本の国のかたち」が誕生した
    *人が持つ感(受)性に回帰する
    *先の戦争から80年、いま「国のかたち」が見えるか

 以上が大まかな目次だ。目次だけでは内容は伝わりにくいが、氏はレジュメの冒頭で次のように述べている。これが全体の要約とも言えそうだ。

「日本の歴史に国家的「ジオポリティーク」の感性が窺えるのは「白村江敗戦後」の防衛体制構築 ー 戸籍(徴兵の指定)・北九州司令部(太宰府)設置・戦略的防衛戦の構築(離島警備・防人の配置・水城・狼煙台・城砦)・都府の移転(大津遷都)ー ですが、それは、「白村江の戦い」において新羅と連合した唐軍が戦後も朝鮮半島に駐留して「日本に対する脅威」となっていたからです。それらは『日本書紀』・『𦾔唐書』・『三国史記』に記されており、そこに大国の脅威に対する古代大和朝廷の専守防衛体制を学ぶことができます」(4)

 講義の後に質疑応答には長い時間がさかれた。H氏が多くの質問に熱心に答えておられたのが印象的だった(5)。今回の報告をベースに著書が近々刊行されるというので、改めてお話を聞きたいものだ(6)。

【日本列島】

 

 

 


【レジュメ1頁目】

 

 

 

 


注

1 空将補とは航空自衛隊の将官で、昔風に言えば少将の階級らしい。英語圏ではGeneralと呼ばれるようだ。トップから2番目か。「国際地政学研究所」は「日本における地政学研究再興を志す」(ホームページ)研究所だという(https://www.igij.org/)。研究機関だが防衛思想に関しては防衛庁の主流派や防衛研究所(https://www.nids.mod.go.jp/)などとは考えが相容れないところがあるようだ。どちらかと言えばリベラルに近い主張を展開しているようだ(この文脈でのリベラルの定義次第だが)。
2 これは「はてなブログ」に投稿したことがある(2025-05-27 「非戦は安全保障たりうるか ー 非戦論とカトリック」)。Y氏とH氏は同じ研究所に所属しており、思想的基盤や政治的立場は類似しているようだ。
3 専守防衛とは敵から攻撃を受けたときのみ防衛力を行使するというもの。「積極防衛」ではない。いわば受動的な防衛戦略で、「避戦」という言葉も使うらしい。氏の専守防衛論はどうも吉田茂がモデルらしく、吉田茂路線への言及が多かった。吉田茂が言う「国のかたち」とは「非戦の平和国家」であり、「専守防衛を貫く、戦争と無縁で繫栄する日本」なのだと言っておられた。他方、「国」を守るのではなく、「国民の生命・財産」を守ると言い続けた安倍晋三路線への批判的トーンが講義の所々に感じられた。「国なくして国民はない」と言っておられたが、難しい論点だ。畏友三石善吉氏の良書『非暴力による防衛戦略』(明石書房2023)を思い起こした。
4 「ジオポリティーク」は通常「地政学」と訳されるようだが、H氏は「政治地理学」と訳しておられた。
5 テーマがテーマだけにきわどい質問もいくつかあった。あまり踏み込むとイデオロギー論争になったり、党派論争になりかねない質問もあったが、H氏は人柄だろうか物腰柔らかく丁寧に答えておられた。H氏も信者さんということで、気を許した回答をされていたようだ。
6 私が一番印象に残ったのは、「戦争には必ず政治的目的がある」という説明のあと、現在のウクライナ・ロシア「戦争」、ガザ・イスラエル「紛争」、中台「問題」で、氏がロシア・イスラエル・中国の「政治的目的」をはっきりと指摘したことだった。「戦争は政治の継続である」というクラウゼビッツの言葉は人口に膾炙しているが、紛争や戦争の「戦略」ばかりに目を奪われているとその「政治的目的」を見失いがちですという指摘は元軍人ならではの言葉で重く響いた。

 

「非戦」から「避戦」へ ー 専守防衛のジオポリティーク


 当教会で有益な講演会が持たれた。論者はH氏で元空将補、現在は「国際地政学研究所」の理事(1)。テーマは「白村江の戦いに見る日本人の防衛思想」というものだった。テーマのタイトルだけ見るとなにか歴史の話かと見間違えるが、中身は現代日本の防衛論だ。日本は米中ソなどに対してどのように自分の「国のかたち」を作ったら良いのかという話だった。5月に行われた講演会(2)に続く話題だった。

 H氏は講演や講義は慣れておられるようで、説明は流ちょうで、時々冗談を入れたり、脱線したふりをして本音を語ったりで、2時間余の講演は見事だった。パワーポイントを使ったスライドの説明が中心だった。スライドの絵や文字は私にはほとんど読み取れなかったが、語り口がなめらかでスライドはなくとも良かったくらいわかりやすい説明だった。わかりやすい口調だったが、内容は専門的だ。初めて聞く話が多く、氏の研究の成果の一端を垣間見る思いだった。

 配付された資料はなんと20頁にわたる詳細なもので、カラー印刷をとりいれた立派なものだった。内容は多岐にわたるのでとても要約できるものではないが、氏の主張は明快だった。日本の防衛思想は古代からずっと「専守防衛」論だったし、「日本の国のかたち」は「専守防衛」以外にない、というものだ(3)。

 講義の内容を要約する力は私にはないので、配付された資料の主な目次を少し紹介しておきたい。どういう話だったかが推測できると思う。

1 白村江の戦後のジオポリティークは専守防衛
    ①日本列島の位置づけ ー 対馬海峡とドーバー海峡
    ②戦争する相手との国力対比
    ③戦場に関わる地理学的情報 ー 大陸国家の戦争と島嶼国家の戦争
2 日本は白村江の戦いになぜ「参戦」したか ー 日本と百済との関係
    ①百済語を通して「日本・百済」の「血縁」を言う諸氏
    ②朝鮮王朝・日本王族との姻戚関係 ー 桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫
    ③政治に百済人が関与
    ④文化交流
3 白村江の戦の年譜
4 国のかたち⇒「古代国民国家」⇒国家体制の構築と維持
    ①全般⇒敗戦に学び構築する「国のかたち」
    ②内政の障害排除 - 地方部族を吸収
    ③律令(近江令668⇒飛鳥浄御原令689⇒大宝律令701)
    ④遷都 難波⇒近江京667
5 防衛・安全保障・外交
    ①大国のパワーポリテイックス(日本・新羅・唐・渤海)
    ②新羅のと交流
    ③白村江敗戦後の防衛体制構築
    ④百済遺民の四散 ー 難民対処
    ⑤捕虜の帰還
    ⑥『万葉集』防人の歌
        *防人の歌の評価=乏しい軍事的知見に反比例する(命がけの重さ)
        *大友家持の期待
        *防人=コサック
6 示唆⇒国のかたち
    *古代国民国家で「日本の国のかたち」が誕生した
    *人が持つ感(受)性に回帰する
    *先の戦争から80年、いま「国のかたち」が見えるか

 以上が大まかな目次だ。目次だけでは内容は伝わりにくいが、氏はレジュメの冒頭で次のように述べている。これが全体の要約とも言えそうだ。

「日本の歴史に国家的「ジオポリティーク」の感性が窺えるのは「白村江敗戦後」の防衛体制構築 ー 戸籍(徴兵の指定)・北九州司令部(太宰府)設置・戦略的防衛戦の構築(離島警備・防人の配置・水城・狼煙台・城砦)・都府の移転(大津遷都)ー ですが、それは、「白村江の戦い」において新羅と連合した唐軍が戦後も朝鮮半島に駐留して「日本に対する脅威」となっていたからです。それらは『日本書紀』・『𦾔唐書』・『三国史記』に記されており、そこに大国の脅威に対する古代大和朝廷の専守防衛体制を学ぶことができます」(4)

 講義の後に質疑応答には長い時間がさかれた。H氏が多くの質問に熱心に答えておられたのが印象的だった(5)。今回の報告をベースに著書が近々刊行されるというので、改めてお話を聞きたいものだ(6)。

【日本列島】

 

 

 


【レジュメ1頁目】

 

 

 

 


注

1 空将補とは航空自衛隊の将官で、昔風に言えば少将の階級らしい。英語圏ではGeneralと呼ばれるようだ。トップから2番目か。「国際地政学研究所」は「日本における地政学研究再興を志す」(ホームページ)研究所だという(https://www.igij.org/)。研究機関だが防衛思想に関しては防衛庁の主流派や防衛研究所(https://www.nids.mod.go.jp/)などとは考えが相容れないところがあるようだ。どちらかと言えばリベラルに近い主張を展開しているようだ(この文脈でのリベラルの定義次第だが)。
2 これは「はてなブログ」に投稿したことがある(2025-05-27 「非戦は安全保障たりうるか ー 非戦論とカトリック」)。Y氏とH氏は同じ研究所に所属しており、思想的基盤や政治的立場は類似しているようだ。
3 専守防衛とは敵から攻撃を受けたときのみ防衛力を行使するというもの。「積極防衛」ではない。いわば受動的な防衛戦略で、「避戦」という言葉も使うらしい。氏の専守防衛論はどうも吉田茂がモデルらしく、吉田茂路線への言及が多かった。吉田茂が言う「国のかたち」とは「非戦の平和国家」であり、「専守防衛を貫く、戦争と無縁で繫栄する日本」なのだと言っておられた。他方、「国」を守るのではなく、「国民の生命・財産」を守ると言い続けた安倍晋三路線への批判的トーンが講義の所々に感じられた。「国なくして国民はない」と言っておられたが、難しい論点だ。畏友三石善吉氏の良書『非暴力による防衛戦略』(明石書房2023)を思い起こした。
4 「ジオポリティーク」は通常「地政学」と訳されるようだが、H氏は「政治地理学」と訳しておられた。
5 テーマがテーマだけにきわどい質問もいくつかあった。あまり踏み込むとイデオロギー論争になったり、党派論争になりかねない質問もあったが、H氏は人柄だろうか物腰柔らかく丁寧に答えておられた。H氏も信者さんということで、気を許した回答をされていたようだ。
6 私が一番印象に残ったのは、「戦争には必ず政治的目的がある」という説明のあと、現在のウクライナ・ロシア「戦争」、ガザ・イスラエル「紛争」、中台「問題」で、氏がロシア・イスラエル・中国の「政治的目的」をはっきりと指摘したことだった。「戦争は政治の継続である」というクラウゼビッツの言葉は人口に膾炙しているが、紛争や戦争の「戦略」ばかりに目を奪われているとその「政治的目的」を見失いがちですという指摘は元軍人ならではの言葉で重く響いた。

 

「ユダ福音書」に読む「笑うイエス」 ー 米田師『イエスは四度笑った』を読む

 米田彰男師の『イエスは四度笑った』を読んだ(1)。いわゆる「史的イエス」論で、イエスの、短い人生の中での「喜怒哀楽」を現代の聖書学のもとに描いている。主に依拠しているのは「ユダの福音書」だ(2)。イエスは、普通思い描かれる、尊厳な、厳格で、そして可哀想な死に方をした、立派な人(神)というイメージとは異なり、もっと明るい、そしてユーモアのセンスを持った、面白い人(神)だったのではないか、という説だ。

 米田師には10年ほど前に黙想会で指導を受けたことがある(3)。米田師は、気難しい聖書学者というよりは、穏やかな人柄で、一泊二日の黙想会は和気藹々の楽しいものだった。ドミニコ会といってもカナダ管区ですから、と笑っておられたのが記憶に残っている。

 念のために目次だけ紹介しておこう。

 

第1書 イスカリオテのユダと『ユダの福音書』
第2章 イエスを4度笑わせた『ユダの福音書』
第3章 正典福音書におけるイエスの<怒り・苦しみ・悲しみ・喜び>
第4章 正典福音書におけるイエスの<ユーモア>
第5章 正典福音書におけるイエスの<笑い>
追記1 聖夜を前に聖書ひもといて
追記2 ガザの「壁」

 全体を流れるのは、小説家椎名麟三の言葉「福音書には、イエスの笑いの記事がないことが残念である」という問い、「イエスは笑ったはずだ」、という予感(4)に、現代聖書学の知見をもとに答える知的挑戦だ。つまり、イエスの言葉を、具体的な状況の中で、誰に対して、どういう感情で語られたかを、正典福音書とユダの福音書に探すという試みだ。細かい聖書の話なのだが、引用と説明が丁寧なので、共観福音書の知識がなくともなんとか読み通せた。といっても前著『寅さんとイエス』と比べると格段と難しい。

 内容は聖書学に素人の私がまとめることはできない。ただ、福音書のそういう読み方、説明のしかたもあるのか、と驚きの連続だった。「快活で晴朗なイエス」、これが米田師が理解している持っているイエス像だということがよくわかった。

【イエスは四度笑った】

 


注
1 米田彰男『イエスは四度笑った』(筑摩書房、2024)
2 1970年代にナイル川流域で4つの写本が発見された。パピルス紙。なかには、①フィリポに送ったペテロの手紙 ②ヤコブの黙示録 ③ユダの福音書 ④アロゲネースの書 が含まれていたという。「マガーガ写本」と呼ばれているらしい。グノーシス派の偽典という説もあるようだ。ユダとはイエスを「引き渡した」ユダである。「イエスを金で売った、裏切り者のユダ」ではなく、イエスを「引き渡した」ユダである。この「引き渡す」ということの意味の解明が本書の主要命題の一つとなっている。
3 この黙想会の印象はブログに書いたことがある(はてなブログ、2015-09-13)。この時の黙想会のテーマは「イエスはフーテンの寅さんだった」というもので、師の著書『寅さんとイエス』を使った面白い黙想会だった。この黙想会でも「イエスの笑い」について研究を進めていると仰っていたので、本書はその成果だと思われる。
4 椎名麟三「道化師の孤独」椎名麟三全集第九巻(1976)

 

フランシスコ前教皇の評価が割れ始めているのか ー 「聖書と典礼」と「東京教区ニュース」

 今日の年間第16主日は参院選の投票日に重なったせいか、または梅雨明けの猛暑のせいか、ミサに預かる人の数は心なしか少なかった。普段と変わらないごく普通のごミサだったが、一つ驚いたことがあった。それは、「聖書と典礼」の「コラム」欄に載っていた阿部仲麻呂師(サレジオ会)の投稿記事だった。タイトルは「教皇選出に伴う教会共同体のこれまでとこれから ー 相手を優先する神の愛を具体的に生きる伝統」というものだった。
 師は、亡くなられた前教皇を「分断された世界を懐かしい故郷に変貌させつつ、諸民族を兄弟姉妹と呼んで連帯させた橋渡し役の教皇フランシスコ」と呼んでいる。内容も、前教皇の霊的指導を好意的に評価し、前教皇の出された回勅や使徒的勧告を紹介し、シノドス(主とともに歩む旅を)を「私たちの識別」と呼んで説明していた。言ってみれば阿部師らしいごく普通のコラム記事だ。新教皇レオ14世についても、「多様性を尊重し、お互いに補い合い、キリストと一緒に基本に立ち帰って歩んで参りましょう」と紹介している。一見当たり障りのない表現だが、読みようによっては阿部師の意図と希望が伝わってくる。
 ところが、この阿部師のコラム記事の論調は、今月7月2日付けの「東京教区ニュース第424号」に載った「シノドス担当者 小西広志神父」の投稿記事「対話する教皇さま」とはあまりにも異なる印象を与えるものだった。小西師は「型破りな教皇さま」というタイトルの記事の中で、フランシスコ前教皇を次のように評していた。

「2013年3月13日にアルゼンチン出身のホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿が新教皇に選ばれた際、最初のお披露目でわたしは少し驚いたことがありました。それは、フランシスコ教皇さまが白の教皇服だけをお召しになって現れたからです。・ ・ ・ そして、第一声は「兄弟姉妹の皆さん、こんばんは」でした。わたしのその時の印象は、教皇としての服装の規定をあえて破って、やさしい言葉で語りかけて、人々のそばにいようとする教皇さまが誕生したのだというものでした。しかし、少しひねくれた見方をすれば、教皇さまは民衆をご自分の味方につけようとしているという感じもしました。それから12年、多くのことが型破りで、次は何が生じるのだろうという不安定さを感じていたのはわたしだけではなかったと思います。時にはフランシスコ教皇のなさることの真意をくみ取れないまま、消化不良のような状態にもさせられました。」

 つまりこの論調はフランシスコ前教皇をなにか貶めるような意図を持っているのではという印象を与える。少なくとも好意的な論調ではない。教区ニュースの一つに過ぎないとはいえ、教区のシノドス担当司祭の投稿なのだから、その与える影響は大きい。要は東京大司教区はフランシスコ前教皇をあまり快く思っていないのではないかという印象を受けた。

 こういう気分の時に今日阿部師のコラム記事を読んで、これは一体どうなっているのだろう、という気持ちになった。小西師の投稿記事に首を傾げていた私は今日の安倍師

のコラム記事になにかホッとする気持ちになったが、しかしどこか胸騒ぎがする。

 新教皇が前教皇と比較されるのはいつものことだ。故ベネディクト16世ですら、第二バチカン公会議では改革派の希望の星だった。レオ14世がどのように教会を、時代を、導いていくのか、まだわからない。前教皇フランシスコの評価に関する今日の「聖書と典礼」のトーンと今月の「東京大司教区のニュース」のトーンとの違いは、教区と修道会の立場の違いの反映なのかはわからないが、思いがけず大きいものなのかもしれない。